快適さのための備忘録

投稿者: Ιωνάς 投稿日:

  • 少しでも不和や行き詰まり、噛み合っていないと感じたら、早めに断食。半日でも1日でも2日、3日でも期間の長短は重要ではない。まずは無理せずやってみる。山上・平地の説教にあるように、欲が満たされることは最終的に不幸をもたらす。飢えている者は幸いとされている。
  • 三食しっかり食べると、空腹時(お腹が鳴る)が存在しなくなるため、生き物として不自然な状態になるのでNG。一日一食以下にすることを守るようにする。
  • 食物の種類や添加物より、まず少食を忘れないこと。腹八分に医者要らず。腹六部で老いを忘れる。腹四部で神に近づく(沖正弘)。どの哲学・宗教であろうが、正義や真理などの精神的な事柄に関心があるのであれば、空腹が悟り(気付き)やひらめきをもたらすのは常識であり共通認識。
  • 観想の生活を目指す。物理的・時間的に慌ただしい時は、人生の第一目的が仕事やお金や生活水準を守ることにすりかわっていないか、注意する。必要なお金はそこまで多くないことを忘れない。
  • 経済について、不安に思ってはいけないことはキリストの命令である。これは人ではなく神が「心配」されるべき事項。自分の使命を果たすことだけに集中・没頭・リソースを配分していれば、生きるのに必要な衣食住などは、マナと同じように、全て神から与えられる(マタイ6章)。ただし、マナと同じように、蓄えは原理的に不可能である可能性があることには注意が必要。
  • 賛美歌、聖歌、説教、聖書などを積極的に聞き、読む。歌詞・好み・意見・神学的立場の多少の違いによって忌避すべきではない。大概において、神を信じない人よりは、キリストを告白している方が、自分の立場により近いものである。これらから得るものは、控えめにいっても、何かしらある。
  • 疑いを抱くことを自罰しない。宗教を信じることが正なのではなく、真理を知ること、知ろうとすることを目的とすべき。その延長に信仰がある。福音的な立場を維持したいからといって、ニュース・科学・哲学を避けるべきではない。もし万が一間違っていることが発覚するようなことがあると仮定すれば、いくら平安を得られるとしても、そのよう信仰はやめるのが正解。
  • 睡眠不足は何物によっても補償できない類いの問題。カフェインの摂りすぎなどで睡眠の時間を減らしてしまうことや、またその質を害してしまうことは良くない。
  • 生活水準をあげないこと。一度あげると下げるのは難しい。年齢を重ねたからといって、生活水準を上げる義務はない。むしろ、毎月の生活に必要なお金を減らせば、より自由な時間を増やすことができ、真理の探求に資源を投入できる。
  • 精神と肉体は関連している。行き詰まりの兆候があれば、ある程度長時間の散歩など運動も効果的。また、たまには嗜好品(コーヒーなど)が気分を一新するきっかけになることも否定できない。依存しなければ、存在の善悪は使いようによる。
  • 他人からの不満・非難・敵意・見下し・ライバル心・苦情などを思い出すべきではない。謝るべきは謝る必要があるが。カーネギーの「道は開ける」にはこの問題が詳説されている。キリストも、憎まれることは幸いで、反対に、すべての人から称賛されることは良くないことであると語られた。

カテゴリー: 倫理学実践神学

Ιωνάς

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