恐れという偶像崇拝

投稿者: Ιωνάς 投稿日:

キリスト教でいう偶像とは神以外である人が大事にしているもの、価値をおいているもの、気にかかっているもの、等です。

ユダヤ人が牛の像に願掛けをしていたことはもちろんわかりやすい偶像崇拝でありました。

加えて、仕事の締め切り、クオリティへの評価、上司からの評価、顧客から嫌われていないか、これらも偶像になり得ることを学習しました。

現代の偶像崇拝には、自分崇拝、自分がやりたいように生きるという考え、ヒューマニズム、があります。

あなたよりも大事なもの、優先するもの、時間をかけるもの、お金をかけるもの、頭のなかを支配するものはあってはならないというのが聖書の主張です。

私が本当に恐れるべきはもっとも強いあなたからの叱責、評価だということを忘れないようにさせてください。他の誰に自分の能力を否定されてもかまいません。能力、賜物は人それそれです。

この世は一瞬です。私たちはどこにいくのか、それが大事です。永遠に思いを馳せます。明日以降のことを煩わないように、心配しないようにさせてください。今日は今日で、天に宝を蓄えたいのです。

御子のあがないにより、私は最も強いあなたから無条件に愛されています。最強の方以外に恐れる必要のあるものは存在するのでしょうか。するはずがありません。

私はあなた以外に恐れを感じることが罪であることを認識し、この間違った状態に気づき次第、速やかに悔い改めます。

悪が真に強いわけではないです。

この世が悪に支配されているだけです。

カテゴリー: 神学

Ιωνάς

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